ママ友に対する私のしくじり
ママ友は多くないです。友だち自体も多くないです。
少なくていいから本当に心を許して付き合える人と付き合っています。ママ友が少なくても困ったことはありません。
というわけで、ママ友問題で悩んだ経験もしくじったこともないです。むしろ、数が少ないからこそ友だちには幸せになってほしいと心から願っています。
なので、うまくいっていないことをママ友が愚痴っていたとしたら、どんなことでも聞き流せないんですよね~。
つい、解決してあげたくなっちゃうんです。
悩んでいることを解決してもっと幸せになってほしい!! っていう思いが強いあまり、ついつい具体的な解決策を提案してしまうほど。
例えば、毎晩旦那に晩酌の相手をさせられて辛いっていうお悩みがあったとしたら、「明日からもうやめよう!! やめていいように交渉してみよう!! それか強行突破でもうキレられてもなんでもいいからその時間脱走しよう!!」…と提案したりするんですけど、「そっか!! やってみるわ!!」ってなった友だちはそう多くはありません…。
ただ指をくわえて待っているだけでは、事態改善が向こうから歩いてやってきくるなんてありません。自分が動くしかないんです。だから私は、具体的な解決策を提案しちゃうんですよね。
時が解決してくれるものもあれば時が経つほど深刻化して抜け出せなくなるものもあると思っているので、すぐに解決できそうなものに関しては、「今すぐ、自分から、本気で動けばいいのに!!」って心の底から思ってます。
逆に言えば、なんでそれをやらないのか、本気で意味が分からない…。
どうして耐えながら、文句言いながら、ただ毎日を過ごしているのか不思議でしょうがないんです。
どうしてもっと貪欲に自分の幸せを追い求めないのか、どうして行動しないのか、わからないからついつい熱くなってしまって…
「ただ聞いてほしかっただけなのに…」「そういうんじゃないんだ…」っていうパターンはわりとあります。反省。
というわけでママ友に関しては、ただ話を聞いてほしいだけっていうパターンと、具体的な解決策を教えてほしいっていうパターンと2パターンあるんだということが分かったので、この辺を見誤らないようにまずはジャブ打ってみて、「あ…これは本気で動こうとはしてないな…」と感知したら、すっと線を引いて踏み込みすぎないようにしています。
ただ、本気で動こうとしている人に対しては全力で全身全霊で応援します。
家族に対する私のしくじり
家族に対してのしくじり…うぅ~ん…なんだろうか…
昔の私のブログを読んでくれてた方が久しぶりにブログを読みにこられて、「な、なんか芸風変わりましたね…」とびっくりされることがあるんですけど、芸風が変わったというより生活が変わったんです。
昔は自分の中で勝手に背負いこんでるものが多くて…
「外で働いてくれているのは夫なんだから、家のことぐらい完璧にできないと私の存在価値ゼロだ!!」とか思って必死にがんばってたんですけど、だんだんうまく手が回らなくなってきて…。そのうち、がんばらないって開き直りはじめたんです。
過渡期には「こんな私じゃダメだ…」みたいに落ち込んだりもしましたが、限界点を超えたら手放すことをはじめました。
- 手作りのパン作りをやめた
- 部屋のお掃除をこまめにやるのをやめた
- 凝ったお料理をつくるのをやめた
- 子どもの勉強に付き合うのをやめた
手放すことを増やしていったら…夫がやってくれるようになりました。妻が放棄したらそれを夫が拾いあげてくれるようになったんです。
それだけではなく、「こうしたい」「こうなりたい」っていう欲望をさらに追い求めるようになりました。
- 仕事を始めたい!
- 大阪に戻りたい!
- 家を買いたい!
- 単身赴任やめてほしい!
…とか。「こうなりたい」っていう未来を貪欲に求めるようになりました。
でも、時々こう言われることがあるんです。
「言うことを聞いてくれる相手を見つけるのが上手いんですね」とか、「ワガママが許してもらえる性格で羨ましい」とか。
でも実はそうではなくて、得るからにはこちらからも与えなくてはいけません。私から夫に与えられるものがあってからの「得る」だと思っています。
我が家の場合、「オギャ子の言う事をかなえてあげる=なんか面白そうな予感がする!」とか、「次何をやらかすのかワクワクする!」とか、そんな風に思われがちですが、私が家族に対して円満なコミュニケーションをとるために気をつけていることは…
- 相手の言うことを否定しない
- 何度も意見を交換する
- 尊重し合いながらもこちらの主張を譲らない
- 強行突破に見えて実は地道に淡々と議論を何度も重ねる
これに尽きます。
話にならない場合でも、きっとどこかにスイッチがあるはず、通じる方法があるはず、とあきらめずに糸口を探します。根本にあるのは「きっとわかってくれる」って相手を全力で信頼することです。
コミュニケーション全般に言えることですが、私の根底にあるのはどんな人に対しても…
興味を持つことです。
年齢や、子どもの数や、既婚未婚、着ている洋服や持っているバッグ、履いている靴や住んでいる場所…そういう外見的なものにはあまり興味ありません。
- どういう趣味があるのか?
- どういうスポーツしてたのか?
- なんでその職業に就こうと思ったのか?
- 旦那さんとどこで出会ったのか?
- 今ナニにはまってるのか?
などなど、その人がどういう人間なのか? そこにもっとも興味を持ちます。
あとは、すぐにジャッジしない&すぐに嫌いにならないこと。
「あれれ? な人」みたいなネタがあると思うんですけど、別にどれも「あれれ?」じゃないなって思うんですよね。
良い子ぶってるように思われるかもしれませんが、そういうことではなく、他人との境界線をぴっちり引いているのであまり他人の行動に「あれれ?」とか「それどうなの?」とかジャッジしたりすることが少ないように思いますし、すぐ嫌いになったりすることもしないです。
さらに、乱暴な言い方ですが「私と仲良くなれる人がなってくれたらいい。なれない人はならなくていい。」とも思っています。嫌われる勇気に近いかもしれません。
本当に分かってくれる人が数人いればそれでいいと思っているので万人に好かれようとは思っておらず、自然にふるまっているなかで、それでも離れずに仲良く付き合ってくれる人と付き合っていけたい&大切にしたいと思っています。
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いかがでしたか?
ユニークでひょうきんな世界観からは想像もつかないような、注目されるがゆえの壮絶な経験を赤裸々に語ってくださったオギャ子さんの言葉からは、「しくじりからの学び」というよりも、人として大切な、つい忘れがちな基本的な考え方や姿勢がストレートに伝わってきました。
◎誰かに意見を求める。求めるからには「相手の時間を奪っているんだ」という意識を忘れない
◎何事においても最後は人とのつながりが大切になるのだから、自分の立ち位置をしっかり認識する
◎自分に近い存在が悩んでいるときは、相手の悩みのパターンを見極める
◎「きっとわかってくれる」…相手を全力で信頼することで、話にならない場合でもきっと糸口は見つかる
◎「その人がどういう人間なのか?」…どんな人に対してもとにかく興味を持つ
家族、友人、ご近所さん、同僚、上司など、さまざまな関係性に少しでも悩んだら、オギャ子さんが伝えてくれたコミュニケーションの基本に立ち返ってみてください。
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